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天武系の位牌が某寺におさめられていないのは、かれらが当時から見て「旧来の日本の体制」たる非仏教式のシャーマン政治スタイルに近いものをとっていたからですよ(天智以前の天皇で位牌を持つものはいない)。つまり天武系にとって位牌は必要のないものだったのです。当時どの勢力が彼らのいずれに味方していたかを淡々と眺めていけば、隼人族をはじめとする旧来組が天武を押していたことが判ります。
どちらかといえば天智により(背景となる豪族経由の)仏教介入を含めた政治転換が行われ、天武系は部族単位の相関を将来に残る神話物語と儀礼に刻むようつとめたのちに海人族の天下を維持しきれず(=渡来人系の行動力を認めざるを得ず)に退いていっただけです。
大化にせよ某乱にせよ宗教戦争もどきですから相互に対等で、またそもそも聖徳と思われる某蘇我の子らが頑張るまでの日本は地球寒冷化の影響もあり動乱状態だったんですから、その果てに出てきた彼ら(天智・天武双方)はよくやったと言えるんではないでしょうかね。
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